2018年10月16日火曜日

源氏ケ峰城の堀切は圧巻!

富山県小矢部市にある源氏ケ峰城跡。
越中・加賀国境上に存在する山城の一つで、古くは倶利伽羅峠の合戦で木曽義仲が使用したとも伝えられ、城の西側の谷は平家武者の死体で埋まったといわれる「地獄谷」。
しかし、現在の遺構は戦国時代のもので、天正12年(1584)での加賀・前田利家と越中・佐々成政との対立で国境城郭を成政が改修したが、この源氏ケ峰城もその一つと考えられている。
ただ、松根城や一乗寺城など他の城に見られる「街道を遮断し抑える」役割を果たすには、かなり弱い場所にあるので、改修があったとしても程度は低い。

南側尾根筋を巨大な堀切で遮断し、城内も横堀や櫓台を設けて縄張りの工夫が見られる。
石碑までは、県道からすんなり行けるが、それ以外はかなり藪の中。以前は城内を回るのに相当苦労した。それでも最近(2017年)は地元の方による草刈りが行われ、主郭から大堀切までは訪問しやすくなっている。

さらに詳しいことは → 源氏ケ峰城 写真集


石碑

「自己責任で」の看板

大堀切は圧巻!

2016年8月31日水曜日

小島甚助と寺嶋牛助兄弟が隠れた「乱の穴」

富山市山田村小島の「城山」は「小島城跡」とも伝えられ、山頂は確かにゆるやかな平坦地になっています。
ただ、本当に城跡だったかは不明。わずかに土塁らしきものも認められますが、短期間の陣地として使用されたのかもしれません。

そこから山中に入って行くと、小島甚助と寺嶋牛助兄弟が隠れたという「乱の穴」が存在します。
地元の方の手によって、案内板が設けられています。なんだか熊が住んでいそうな穴ですが。

小島城と「乱の穴」の詳細はこちらをご覧下さい。

富山市 小島城 主郭
小島城 主郭
自然的平坦地です

地元では城山と呼ばれる小島城跡

乱の穴 由来記
「乱の穴」由来記
県道からの入口近くにあります

乱の穴への登り口
数分もかからないほどで穴へ

乱の穴
乱の穴
二人が隠れたということで、穴も2つ

2016年8月28日日曜日

中地山城は横堀と櫓台が見所(富山市大山町)

飛騨の江馬氏も、よくぞここまで頑張って進出してきたなと思いますね。山越えの道は、さぞかし大変だったろうと思います。

中地山城は、その江馬輝盛が永禄年間に築いたといわれ、越後・上杉氏の越中進出を助ける意味もあったのでしょう。
城の脇を立山往来が通るので、その監視の役目が大きかったと思われます。

中地山城は平成に入るまで、その城内は畑として使われていたようで、今現在は結構荒れています。案内板はしっかり掲示されているので迷う事はないでしょう。

見所は、何と言っても城山を取り囲むように長く設けられた横堀と、それを守る櫓台です。
中地山城の詳細は、こちらをご覧下さい。

中地山城 案内板
中地山城の前にある案内板
写真奥の山が城跡です。

中地山城 横堀
かなり規模の大きな横堀が走っています

中地山城 櫓台
横堀と櫓台
もとは畑だったので、結構荒れてます

中地山城 空堀跡
横堀

中地山城 主郭
中地山城 主郭
削平は甘いです

土塁
常願寺川方面には土塁を設けています。

遠景
中地山城 遠景

湯端城は街道監視の館跡か?(富山市大山町)

富山市大山町の湯端城跡は、町道のすぐ脇にあり訪問しやすいのですが、私有地だと思いますので、少々気を使った方がいいとは思います。

方形の主郭の周囲を浅い空堀がめぐっていますが、折り曲げるなど縄張りの工夫が見られます。その外側には深い横堀のような古道が走っています。この道の監視の役目もあったと思われます。
周囲の木を伐採すれば、常願寺川とその対岸も含めて相当よい眺めを得ることができるでしょうね。

 湯端城の詳細はこちらをご覧下さい。

湯端城跡
写真右側が城跡になります

湯端城 主郭
湯端城 主郭

湯端城 横堀
主郭周辺は浅い横堀と土塁で囲まれており、
折り曲げるなど縄張りの工夫も見られます。

湯端城 虎口
曲輪を区切る土塁と、その虎口跡

湯端城 空堀跡
横堀の更に外側に古道跡があります。
空堀の役目もあったのでしょう。

2016年8月26日金曜日

白鳥城(富山市)の遊歩道は、本来の導線を無視してます。

 富山市の白鳥城跡は遊歩道も整備されて訪問しやすい山城跡です。

 越後上杉氏、越中一向一揆、そして佐々成政、前田氏と城主を幾度も変えながらも存在し続けた白鳥城は、豊臣秀吉が佐々成政征伐の際に入城したとも言われます。


 埋蔵文化センターによると、富山城方面の東側は急斜面で防御の曲輪は無いものの、いくつもの段が存在するそうで、それは秀吉による佐々攻撃時に使用されたものではないかと推測されるそうです。

 ハイキングコースが整備されていて、駐車場もあり訪問しやすいものの、城内の遊歩道は本来の導線を全く無視して作られており、切岸を破壊しまくっています。それはたぶん、貴重な枡形虎口などを保存するためだと思いたい程。かといって、本来の導線を楽しもうとすると、ブッシュが酷くで大変です。

 なお、本丸にある説明板では「天守台」がありますが、天守が存在した訳ではありません。後世の盛り土のようですので、ご注意を。

白鳥城 空堀跡
空堀跡
遊歩道から外れて奥に入っていけば、枡形虎口に入れます。

白鳥城 枡形虎口
枡形虎口
藪の中です

白鳥城 土塁跡
敵を迎え撃つ方向には土塁を築いて守りを固めています。

立山連峰の眺め 富山市
城跡からの立山連峰の眺めは最高

空堀跡
巨大な横堀跡

白鳥城本丸
白鳥城の主郭
正面は「天守台」の名を持ちますが、天守はありません。

虎口跡
本来の導線をたどれば、多くの虎口に出会えます。
ただ、藪漕ぎになることを覚悟しましょう。
白鳥城跡出土品
白鳥城では主郭の発掘調査が行われました。
その出土品が安田城跡資料館に展示されています。

2016年2月10日水曜日

北陸武将の活躍を描く「越嵐」が発刊

北陸の武将の室町時代から江戸時代初期までの物語(小説?)を、描いた本が発刊されるそうです。
その名も「越嵐」



歴史好きの方が、退職後に書き綴ったものなんですね。
気になります。

2016年2月9日火曜日

大峪城跡に建つ五福小学校が移転

富山市五福小学校が、この春(2016年)に新校舎に移転するそうです。



この五福小学校は、大峪城という城跡に建っています。

今まで、城跡を見たくても、学校内のために入ることができず、また写真さつえいしていても、まるで児童を撮影している不審者のように思われて、なかなかはばかるところが多かったのですが、さてさて今後は城跡はどうなるのでしょうか。
気になるところです。

本丸跡の高台に建つ校舎

大峪城についてはこちら